ジェンダーにおける多様性の受容は広がっているか。
2023年6月17日 ジェンダーにおいて何を否定されると嫌な気持ちになるのか。
大層なレポートのような題名をつけたが別に日本社会のジェンダー問題に切り込んでいこうとかそんなつもりはない。
ただ日本で生まれ日本ですくすくと育っている僕がジェンダーについてどういうことをされたら嫌で、逆にどういうことなら別に気にしないのか話そうと思う。
僕は生物学上も戸籍上も正真正銘の女性であるが、どうも女性と一括りにされるともやっとする節がある。
別に男性になりたいわけではない。
しかし、私個人を指して、あなたは女性ですという結構ストレート目な表現をされるとあまりいい気持ちではない。
何度も書いている気がするけど母に女の子なんだからと言われるたび半べそでキレていた。
欲を言えば(これを周りに求めるのは少しわがまますぎるので)自分のジェンダーが女性であるのかクエスチョニングなのか、はたまたXジェンダーなのかはっきりしないことさえはっきりさせたくないのだ。
次に、今日この記事を書くきっかけになった出来事を話そう。
僕の大学はとても自由な感じの大学だ。
ほんとに多様性(ジェンダーに関わらずファッションなどの面においても)が受容されているかどうかは別として、受け入れなければならない、受け入れるべきものだという考えは広まっていると思う。
これがいいことなのかどうかも別とするが、とてもマイノリティが行きやすい環境であることは確かだ。
派手な格好をしても白い目で見られるどころかかわいい〜となる世界なので、いつしか自分が派手な格好をしていることを忘れる。
そんなノリで僕は自分がジェンダーに違和感を抱いていたことを忘れていたのだ。
最近は、自分で自分の性別がなんなのか、恋愛対象は誰?、これからどうしていけばいいんだろうとか考えても答えの出ない不毛な自問自答をしなくたってよかった。
そんなとき大学の外の人間が将来のキャリアについて講演をしにやってきた。
その人が今回のもやもやキーパーソンである。
その人は別に差別的な人ではもちろんない。年代がちょっと上なだけだ。
その人は言った。女性は結婚や出産があると。
ええわかってますとも、確かに女性の多くは結婚し出産します。
でもなんか嫌だったんです。しかしながらこう言った類の話ってそうでない人もいるって毎回付け加えるのはあんまり現実的じゃありません。
こういう話が嫌に感じない時もあります。
嫌でない時と嫌に感じる時の違いってなんだろうって考えました、多分ほんとに少しのニュアンスの違いです。
そこにマイノリティがいる可能性を孕んだ言い方なのか、完全にマイノリティが排除された言い方なのか。
女性は結婚し、子供を産み仕事を辞めるものだという考えが根底にあるような言い方がなんとなく伝わってくるのだと思う。
あぁ、考えを押し付ける、配慮しろと叫ぶ人間にはなりたくない。
これは一個人が心で感じたことだから、他の人がこれが全く気にならないってこともあるし、これが大問題だと捉えることもあると思うよ。
話がまとまらなくなってきたので、今話したことを簡潔に言えば、私のような人間がいないことにされるのが嫌なんだと思う。
多分。
よくわからないけど。
その人はどうやって言えばよかったんだろうね。
散々文句言っといて正解が思いつかないけど。
講演の話の流れ的にそもそも女性がどうとか触れる必要がなかったかもしれない。
これも、嫌だと思った原因の一つかもしれないな。
わざわざ言わなくてもいいのにジェンダーについて軽く触れてしまったがために僕のような面倒くさい人間に絡まれる結果になった。
ジェンダー問題については正解がないから難しい。
マイノリティであることに変わりはないのだから、性別の話がタブーになって、正真正銘典型的な女性像に近い女性たち(もちろん男性も)が私は女性だと言わなければいけない、また入ってはいけないことになるのも多分違う。
性別をはっきりさせないことも、性別の一つになっていく、とかなのかな、解決策は。
難しいです。本とか読んでみようかな。
ちょっと、いやかなり長くなってしまった。
お風呂に入ってきた。
何書いてたか忘れました。
もうそのまま出しちゃいます。
楽しくて嫌じゃないことばかり続けばいいのにね。
これを押してくださると僕のブログの順位が上がります⤵︎