たろうの旅。

自分を探す思考の旅日記。

全員が自分勝手だったら。

2023年2月21日 もしも、世界中の全員が自分勝手だったら。

 

これは、何年も僕がしている妄想の一つである。

日本人は気を遣ったり、周りに合わせたりする文化を持っていがちだと思うが、これに疲れる時だってあると思う。

中学生まで僕はそんなことばかりしていた。

 

まず、気を遣うというのは、他人のための行為である。

相手が嫌な気持ちにならないように、先回りして、こちらがうまく立ち回る。

しかしこの時、相手がどう思っているかはわからない。

例えば、残り一つしかない食べ物がある時、相手が多く食べられるように気を遣って、「どうぞ」と相手に譲る。

この時、もしかしたら、相手はお腹がいっぱいで、でも、NOが言えない性格だから無理やり食べている可能性もある。

 

僕はこの見えないやりとり、というか、駆け引きみたいなものにもやもやする。

 

もしもここで、2人とも自分勝手だったらどうだろう。

1人目は最後の一つを食べたい。2人目はお腹いっぱいなので、食べてくれるとありがたい。

自分勝手なのだから2人は正直な気持ちを話し、1人目は一個多く食べられて嬉しいし、2人目は無理やりもう一個食べなくても済むだろう。

2人の意見がかち合ってしまった時は、半分にするとか、じゃんけんやらで楽しく決めるやらすれば良いのだ。

 

自分勝手と書いたから、もしかしたら暴君を想像したかもしれないが、そうではなく、自分と相手の優先順位が同じな人、的な意味で捉えて欲しい。

ここでは、自分を変に下げないってことが大切だ。

 

そして、自分勝手でいることは、相手の行動に左右されづらいってことでもあると思うのだ。

ここ何年か取り上げ続けられているジェンダーの問題なんかも、「自分が大切」&「他の人のことを気にしすぎない」人で溢れかえっていれば全部解決するはずなのだ。

 

もちろんそんな人で溢れかえった世界は訪れないので、別の方法でアプローチしていく必要があるのはまた別の話である。

 

僕が自分勝手で溢れればいいと思ったきっかけがある。

それは、中学の部活での話だ。

中学2年の時、僕ともう1人の子で、いつも部活の準備をしていた。

他の子は帰りに喋っていたりだらだらしているのか来るのが遅い。

しかし他の子の方が小学校低学年からその競技をしていたので実力が上だった。

2人は穏やかな性格だったけど、他の子は性格がキツくて、喧嘩も何度もしていた。(僕たち以外の子同士で)

練習態度もそんなによくなくて、顧問をよくイライラさせていた。

 

忘れもしないが、中体連の前日に事は起きた。

顧問がブチ切れたのだ。

そこまでの経緯諸々は話すと長くなるので割愛する。

 

この時、一人一人謝るみたいなターンが訪れたのだが、この僕のターンの時に顧問に言われた言葉が本当に忘れられない。

僕に向かって「自分勝手だ。」と言ったのだ。

 

本当に信じられなかった。

 

僕は、今まで他の子より準備をしっかりやったし、技術はないけど、練習だって自分なりに頑張っていた。

僕の知らない場所でくだらない理由で喧嘩をしていたのは誰だ。と怒りで震えた。

喧嘩の最中、間に挟まれて毎日しんどい思いをしていたのに。。。!

 

この時僕は悟ったのだ。気を遣うことに意味はないんだって。

 

当時僕は、気を遣うことで、相手は助かっているだろうと思い込んでいた。

でも相手に伝わっているとは限らない。

ただ勝手にこっちがストレスを溜めているだけかもしれない。

 

だからこの日を境に僕は自分勝手にしようと心に決めた。

 

自分勝手は上手に使えばとってもいいものなのだ。

 

ちょっと今日は話がまとまらなくて長くなっちゃったな。

ちなみに僕はこの時の顧問を全く許していない!

あの時自分勝手ランキングをつけるとするなら間違いなく僕と、一緒に準備していたあの子は圏外だ。

辞めずにあの部活の中で生きていただけで正直褒めて欲しい。

思春期の中学生が親の前で大泣きするくらいあの頃の部活には神経を削られていた。

「自分勝手だ。」と言う言葉に実は深く傷つけられたのかもしれないな、、、。

今でも言い返してやればよかったとやり場のない怒りに苛まれそうになるので、これ以上嫌なことを思い出さないようにここら辺で終わりにしようと思う。

 

今日のブログはほぼ愚痴です。笑。

いつかこの怒りを消化できますよーに。